studio fa-fa

another day of my life     日々のアタクシ

Monday, November 26, 2012

路傍の花again


またもや駅までの坂道をふぅふぅ息切れながらのぼり
たどりついた平地をテクテク歩くと、おや!?
おちょぼ口のどなたさん。
ピンクの口紅さして娘らしく足も組んでるけど
なんか鼻歌歌ってるおっさん風でもある。
奥目のずっと奥にある瞳は
きっと微笑んでいることでしょう。きっと。
今日もそんな楽しい路傍の出会いでした。
On the Road!!




Friday, November 23, 2012

フキの花?

久々にアパートから駅までテクテクと歩いていたら
路傍にこんな可愛い花が揺れていました。
何の花かしら?
葉っぱの形からしてフキ??
あの苦くておいしいフキにこんな可愛い花が咲くのかな。

道を歩いていると
素敵な木々や美しい花がたくさんあるけれど
名前を知っているのはごくわずか。

知りたい気持ち70%くらい、残りの30%は
知らなくてもいいかな・あえて知らずにおこうかな。

これは小学生のころ読んだ
大島弓子さんのマンガの中の台詞によるところが大きい。
小さい女の子がお父さんに花の名前を尋ねる。
するとお父さんがこう言う。

花の名前を知る必要は無い。
知った途端に花の美しさが心から消えてしまう〜・・・のような、
最後の文章ははっきり覚えてなくてすみません(汗)。

なんていうマンガだったのかな。
タイトルも忘れてしまったけれど、とても印象的だった。
台詞の意味を完全に理解しているわけじゃないけれど、
たとえば綺麗だな〜って思って眺めていた花も
バラだ、桜だ、と名前を知ってしまうと
あ、バラだな、桜だな、っと
確認作業が第一にきてしまい、
美しさに胸震える感情が薄れてしまうのかな?とか。
名前じゃなくて、その物の本質で
美しいと感じるかどうか、みたいなことなのかな?とか
幼い自分なりにそんなことを教わったような気がする。

そういえばユーミンが
「例えば吉野の桜じゃなくても、うちの近所にひっそり咲く桜でも
綺麗だなって思う気持ちを失いたくない」
ということを語っていて、そうだよねって思ったことがある。

誰もが美しいと認めて判子を押すようなものじゃなくて、
自分だけに映る美しさを大切にしたいってことかなと
勝手に解釈したけれど。

どちらの言葉もたぶんに皆に認められる王道路線とは
無縁の人間だから心に響いたのかもしれない。
でもユーミンってどう見ても王道タイプ、
いつでも人の中心で賞賛され続けてるっぽいのに
こんな事が言えちゃうって、
やはり天から与えられたものがあるんだろうな。

なんてことを路傍の花から教わりました。
花は自分の名前を知らない・そこで育ち生き続けるのみ。
だから美しく人の心を打つのかもしれない。

・・・どうも秋はオセンチだなぁ〜(笑)










Thursday, November 08, 2012

チベットで起きていること


中国政府の圧政によりチベットで抗議自殺が増加しているそうです。
多くは若もの・僧侶など。
自ら軟禁状態のチベット人作家オーセル氏のエッセイ日本語訳が
下記にアップされています↓

http://www.shukousha.com/information/news/1331/

(署名活動もあり)


一人の人間として、またクリエイターとして
この事実を無視することはできません。

なぜかTVや新聞ではあまり報道されていません。
TwitterやFacebookなどのSNSでも一部の人だけの興味。
大騒ぎになってもよいくらいでは?と思うのですが。
みな、自分の身の周りの楽しみや
心配事だけで手一杯なのでしょうか。


21世紀という現代において
経済大国というバックグラウンドの傘のもと、
民族粛清などあってよいのでしょうか?
そしてその経済という恩恵のしずくを得るため、
もしくはそれを享受しながら
見過ごすことも許されないと思います。

同じ地球の上に住む仲間が
今日も自由のために命を捧げるという
哀しい事実。
辛いけれど想像してみてください。

Imagine,
ALL the PEOPLE (should) LIVE THE LIFE IN PEACE.

日々の悩みや悲しみも含め
人はだれでも自分の人生を自分のために
自由に楽しみ生きることができるはず。